前回、「18世紀西欧での陶磁器製造技術の確立により、陶材で作成した人工歯を入れ歯に用いるようになった。」とお話させていただきましたが、18世紀当時の入れ歯を作成する技術は、当時の入れ歯や資料などから考えてみますと、西欧と日本では、日本の技術の方が優れていたのではないかとも思われます。
当時の入れ歯は、咀嚼という歯の本来の機能よりも、キレイに歯が並んだ口許の方が重視されていたのでしょう。
日本初の入れ歯
ここで日本の入れ歯の歴史について深堀してお話したいと思います。
日本最古の木床義歯 は、
【戦国時代の天文7年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺:仏姫】(がんじょうじ:ほとけひめ:本名、中岡テイ)
のものと言われています。
その材料は、柘植(つげ)が用いられていました。
■入れ歯の作り方■
① 熱しながら軟化した蜜蠟や松脂などを混ぜ合わせる
② ①をお口に入れて型取り
➂ お口の中の様子(歯型)を柘植の小塊に、木彫りの要領で3次元的な写生を行い概形を作る
④ 仕上げにお口に入れてながら余分なところや、強く当たって痛いところを徐々に削り取り調整する
⑤ お口の中にピッタリと合う入れ歯の完成!
こちらの仏姫は16世紀前半に亡くなっており、日本最古の柘植木製入れ歯は15世紀末期か16世紀初頭に作成されたものであると云われています。
その頃は、室町時代末期、足利幕府による統治が綻び、戦国の世に向かおうとしている時代ということもあり、それまで寺社からの依頼で彫像などを作成していた職人達は、寺社からの仕事の減少により、現世に合った職業を探す必要性があったようです。
つまり、木製入れ歯は、鎌倉時代初期の慶派の仏師等の手による東大寺南大門の金剛力士(仁王)像とも、技術の系譜として連なっているものであるとも云えるのです。
現代の入れ歯
この優れた木製入れ歯を作成する古来からの技術は、近代以降、西洋の歯科医学が我が国に導入されるにつれて徐々に下火となっていきます。
そして、20世紀初頭の明治末期の都市部においては、西洋的な歯科医療に替わっていたと考えられています。
こうした技術の変化をも含む、この時代での社会全体の西洋化のことを「文明開化」と云いますが、その影には、木製入れ歯の作成にあるような、古くから脈々と伝えられてきた技術の衰亡が少なからずあったことを、記憶に留めておくのもいいですね。
現在でも、日本の歯科技工の技術水準は世界規模においても優れたものとされていることは、比較的広く知られていると思います。
我が国の細部にわたる技術へのこだわりはマンガやアニメのみならず、歯科技工の世界においても良い意味で息づいている印象です。
また、その淵源まで遡ってみますと、13世紀初期、独特の写実性を三次元的に彫像として表現した慶派の仏師達がいるように感じられます。
まとめ
こばやし歯科クリニックでは、こうした古今東西を越えた歯科医療についての技術や知識全般を大事にしております。
西欧的な白く半透明で艶やかで磁器のような人工歯も、